郡上八幡について

歴史ロマンが息づく街 郡上八幡

岐阜県は、戦国時代で活躍した群雄たちが多く生まれ、歴史を彩る戦の舞台ともなった、ロマンある場所です。城下町として古くから栄え、職人町、鍛冶町の歴史ある町並みや軒並み、その目前を流れる水路が「水の町」として刻んだ歴史を物語ります。

やなか水のこみち

水とたわむれ、風に吹かれてそぞろ歩く。 職人町、鍛冶屋町といった古い町名にひかれて足を向けると、そこには古い家並みとその軒先をほとばしるように流れる水路。辻のつきあたりには城下の防禦のための寺が配置され、13もの寺が狭い町並みの中に甍を連ねる奥美濃の小京都です。 水路に沿って城下を巡れば、そこここに清らかな水が育む郡上八幡の暮らしと文化と人に出会えます。

郡上踊り

郡上踊り

「郡上のナァー八幡出てゆくときは、雨もふらぬに 袖しぼる」の歌詞に代表される約400年もの間歌い踊り継がれてきた郡上踊り。7月上旬から9月初旬の間、約30夜にわたって踊り続けられ、旧盆の4日間は、徹夜で踊り明かします。国重要無形民族文化財に指定され、全国三大民踊の一つに数えられています。 東京・渋谷区の「青山通り」の名前の由来は、実は郡上八幡城城主「青山氏」の名前からとられています。今でも夏になると渋谷の青山通りで「郡上おどり」が開催されております。

千代と一豊

NHK大河ドラマ「功名が辻」の主人公『千代』の出身地は、郡上八幡が正しいという説があります。
近年の研究で、それを裏付ける資料なども多く発見され、現在では多くの研究者、歴史愛好家の間で“真説”とされています。

宗祇水

室町時代の連歌の達人・飯尾宗祇がこの湧水の傍らで庵を結んで愛用したことから「宗祇水」と呼ばれるようになったそうです。「水舟」という独特の水利用形態が昔からあり、これは今なお10ヶ所に現存しています。

郡上八幡城

郡上八幡城は、戦国時代末期の永禄2年(1559)、遠藤盛数が砦を築き、稲葉貞通、遠藤慶隆の興亡を経て大普請され、寛文7年(1667)、6代城主遠藤常友の修復によって幕府から城郭として認められるに至りました。

その後、井上氏・金森氏が相次いで入部。宝暦騒動で金森氏が改易された後、丹後国宮津藩から転封した青山幸道によって殿町に居館が築かれ、旧二の丸は本丸、旧本丸は桜の丸・松の丸に改められました。
明治4年(1871)の廃藩置県とともに廃城となった城は、翌年から石垣を残してすべて取り壊されました。現在の城は、昭和8年(1933)、当時の大垣城を参考に再建され、木造4層5階建の天守閣等は八幡町重要文化財に、一帯の城跡は県史跡に指定されています。

入城料/大人300円、小人150円
博物館との共通券/大人600円、小人300円
(山頂駐車場 小型車20台)

郡上八幡 年間イベント

一月郡上本染め ・ 鯉のぼり寒ざらし
二月あまご釣り解禁 ・ 城下町郡上八幡おひな祭り(4月まで)
三月千虎白山神社甘酒まつり
四月郡上八幡の桜 ・ 郡上八幡春の三社祭
五月城下町フェスティバル
六月鮎の友釣り解禁 ・ 市島ホタル祭り
七月郡上八幡七夕まつり ・ ゆかたフェスタ ・ 郡上おどり発祥祭 ・ 宮が瀬のカンテラ ・ 郡上八幡楽市楽座 夏の巻 ・ 毛付市 ・ 連句フェスタ宗祇水
八月城下町花火大会 ・ 郡上おどり徹夜おどり ・ 宗祇水神祭
九月掛け踊り(嘉喜踊り、賀喜踊り)・ 長良川の鮎やな漁(10月中旬まで) ・ 昔おどりの夕べ ・ 郡上八幡楽市楽座 ・ 秋の収穫際
十月高雄神社大歌舞伎 ・ 郡上八幡ふるさと祭り
十一月郡上八幡城もみじ祭り ・ イノシシ猟解禁
十二月安久田の南天市